2011年6月2日木曜日

今の日本に欠けているもの

今の日本に欠けている物・・・それはズバリ、デザイナーである。

不況がいつまでも続くのも、政局が混迷を極めるのも、いつも欧米のモノマネで終わってしまうのも、F1が勝てなかったのも、すべて「デザイナー不在」に原因がある。


そもそも、デザイナーすなわち「設計する人」とはなんだろうか?


大学時代、恩師の言葉で忘れられない言葉がある。それは、「設計(デザイン)とはなにか?」に対する答えである。

私は当時、なぜ日本にはデザイナーと設計者が別にいるのか疑問であった。英語ではどちらも「dsigner」となるがなぜ日本では別になるのか。これを聞いたとき、謎が解けた。

「設計とは直感で導き出した設計解の正しさを、客観的に証明してゆく過程である。」

あくまでスタートは「直感」でなければならない。言い換えれば、主観的、直感的に正しい設計ができる人がデザイナーであり、客観的にしかできない人はトレーサーである。

なぜならば、客観的であるということはロジックが明確であるということである。それならば、誰でも設計できるからだ。コンピュータに自動設計してもらってもいいし、人件費の安い国の労働者に日本人の1/100の人件費でやってもらっても良い。

むしろビジネスとしてはそういう流れは当然であり、このまま日本がトレースを続けていれば、人件費の安い国の労働者の100倍働くしか道は残されていない。

つまりに日本に存在する「設計者」は「設計マニュアルに」したがって設計したつもりになっているトレーサーである。

客観的なデザインと直感によるデザインの決定的な違いは、前者には「人間にしかできない何か」が含まれていない。

当然、意外性のある設計解や、オリジナリティーのある発明に結びつくはずもなく、現状の設計解の延長線上にある、単なる改良やモノマネ、性能が大きく変わらないものしかできてこない。さらに客観的な説明ができない場合、設計解を何も提示できない。

エイドリアン・ニューウェイや、ジェームズ・ダイソンのような人間こそ真のデザイナーである。彼らは常に誰も思いもよらなかったデザインを出してくる。

先が見えない今の日本には真の「デザイナー」が必要である。

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